沖縄空手 〜 守礼を尊ぶ平和の武

沖縄で生まれた、礼節を尊ぶ武道「空手」。いまや国境や宗教、政治、人種の壁を超え、世界190カ国以上、1億3,000万人以上が空手道を究めんと稽古に励んでいます。2020年東京五輪では正式種目となり、ますます世界で注目されるマーシャルアート(武芸)となりつつあります。

琉球古武術と中国の武術が融合して誕生

空手発祥の起源については諸説ありますが、琉球王国時代の士族が教養として学んだ護身術である琉球古武道がそのルーツといわれています。また、琉球政府が武器を放棄し、平和外交を行う姿勢を示したことも、空手道の精神に繋がったともいわれています。沖縄古来からの古武術と中国の武術が融合し、現在の空手の基本が生まれました。空手は、突き、蹴り、受け、転身、投げ、固め、極めなどの技を活用した武道で、首里、那覇、泊の三つの地域を中心に発達。その後、多くの流派を生み出し研さんされたのち、日本本土、そして世界に広がりました。今日では、護身術、スポーツ、精神修行の手段として広く世界中の人々に受け入れられています。

 

沖縄で脈々と受け継がれてきた空手は、先人たちが伝え継承してきた「型」の習得を重要視しています。「型」は、攻防一体となった無駄のない技が構築されており、同じ「型」を日々繰り返し鍛錬することによって、体力、忍耐力、精神力を鍛え上げることにつながるとされています。空手の鍛錬は型の反復練習に加え、器具などを使った部位鍛錬が伝統的な内容。近代になって組手による修練が誕生し、古武道とも一体であるとされることから、武器術や取手術、関節術なども合わせた総合的な武術として修練されています。

他を柔軟に受け入れる風土が生んだ武芸

空手が海外に広がった背景には、積極的に海外で普及活動に従事してきた移民の方達や多くの空手家の努力と功績があります。また、米軍統治時代に沖縄で空手に魅了され、修業にまい進した米軍人・軍属の空手家が、帰国後に母国で積極的に普及した例もあります。空手が日本のみならず海外でも受け入れられた背景には、沖縄が歴史の中で受け入れることをよしとし発展してきた背景も挙げられます。琉球王国時代、日本本土だけでなく中国や台湾、東南アジアとの交易を通じてさまざまな文化や技術を柔軟に取り入れてきたことを振り返ると、空手もこうした沖縄の智恵や風土の産物であり、「空手に先手なし」「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」という発想から生まれた空手が持つ普遍的なメッセージ、創造性、独自性、多様性を持ち合わせたマーシャルアートであることが、世界各国でも受け入れられる要因になっているとも考えられます。

 

空手には本来、「試合」という発想がなく、護身術であるとともに、自己鍛錬の手段であり、向き合うのはいつでも自分自身であるから、相手あっての試合ではありませんでした。稽古を通じて自分自身を磨くことこそが沖縄空手の目的であり、礼にはじまり礼に終わる空手の流儀からもわかるように、技法や技術だけではなく、守礼の心を学ぶことこそが空手の神髄であり、それゆえ空手は「平和の武」といわれるまでに至りました。世界中から空手愛好家が誕生の地である沖縄を訪ね、親交を深めています。

 

 

 

参考サイト

【沖縄空手会館空手の歴史

【内閣府沖縄空手の紹介

LOCATIONおすすめのロケ地