この世とあの世、沖縄の死生観

必ず訪れる「死」。「沖縄では死者との距離が近い」。そんな声がよく聞かれるのは、沖縄の人々が祖霊の存在を常に身近に感じながら生活していたり、祖先をまつる行事を盛大に行ったりするからでしょう。ここでは、沖縄の死生観について考察します。

神が住まうニライカナイは死者の国でもある

海に囲まれた沖縄では、自然の恩恵は海から授かるもの、海の向こうからやってくるものと考えられてきました。そのため、海のかなたには神々の住まう場所があるとされ、その楽園を「ニライカナイ」と呼んできました。

 

また、自然の恩恵や新しい命をこの世にもたらすだけではなく、この世の死者の魂が帰る場所でもあり、魂はニライカナイで生まれ変わり、守護神となるという考えもあります。ニライカナイ信仰は、沖縄の死生観について知るうえで欠かせない要素です。

トートーメーへの祈りと三大祖霊祭

ニライカナイ信仰とならび、より深く沖縄の人々の考え方や生活に息づいているのが、祖先崇拝といえます。祖先がいるからこそ、いまの私たちがいる、あの世にいる祖先が、この世にいる自分たちに影響を与えるという考えのもと、祖先を大切にまつるのが祖先崇拝です。沖縄の各家庭では、火の神(ヒヌカン)とトートーメー(仏壇)に向かって家族の健康や安寧を願って祈る(ウートートーする)のが日常のひとこまです。祈りはヒヌカンを通して神々のもとに、トートーメーを介して祖先たちのもとに届き叶えられるといわれています。

 

沖縄には、三大祖霊祭と呼ばれる、祖先崇拝を顕著に物語るまつりごとがあります。十六日祭、清明祭、旧盆がそれにあたります。十六日祭は、旧暦の1月16日に行われる「あの世のお正月」です。沖縄ではあの世のことをグソーと呼び、地域によってはこの世の正月だけでなく、先祖が住まうグソーの正月も、ごちそうを持ち寄って一族の墓前に一同に会し、お祝いをします。同様に、旧暦の二十四節季のひとつである「清明」の時期に行われる清明祭(シーミー)と呼ばれるお墓参り、さらに、祖先の霊を送迎するエイサーが行われることで知られる旧盆も、沖縄の祖霊祭として広く知られています。

 

こうした祖先をまつる行事は、地域や家族との絆を強いものにしてくれるだけではなく、あの世へのつながりを意識し、日々感謝の気持ちを忘れず生をまっとうすることの大切さを教えてくれます。

この世とあの世はすべてつながっている

かつて世界中のさまざまな地域に存在した風葬は、ここ沖縄でも骨を洗う「洗骨」の儀式を含め、行われてきました。こうした儀式を通して、祖先、自分、そして子孫という命のつながりをひとつの流れとしてとらえています。沖縄の代表的な墓である亀甲墓にも、その考えが見てとれます。墓の形は、死者は再び母親の子宮に戻るという考えのもと、女性の子宮を模しているともいわれています。このような、あの世とこの世が繋がっているという死生観は、沖縄の精神風土として今日まで息づいています。なお、亀甲墓を含むお墓は、聖域であるとともに各家族が先祖を偲び祈りを捧げたり、家族で集まったりするプライベートな空間ですので、無断で立ち入ったり撮影をするのはご遠慮ください。

 

 

 

参考文献

『TOTOメーQ&A 沖縄の年中行事』座間味栄議(むぎ社)

『モモトVol.24 (琉球・沖縄の死生観)』(モモト編集部)

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