各国の影響を受け独自に進化した食文化

沖縄の食文化は、各地域に根ざした食材を生かし、琉球王国時代は各国からの影響を受けながら、第二次世界大戦後の米国統治下においてはポークランチョンミートなど缶詰食材などを用いながら、独自に進化してきました。ここでは、2019年に日本遺産にも登録された琉球料理と泡盛を挙げ、沖縄の食文化について記します。

琉球王国時代から、中国や東南アジアの国々、朝鮮、日本と国交のあった沖縄では、食の面でも、それらの国々からさまざまな影響を受けてきました。なかでも中国からの影響は強く、沖縄に豚肉中心の料理が多いのはそのためといえます。沖縄の食文化を支える料理は「琉球料理」と呼ばれ、琉球王国時代に各国からの客人をもてなすためにつくられた「宮廷料理」と、一般の人々が食べてきた「庶民料理」のふたつに分けることができます。

 

中国からの国賓をおもてなしするために誕生した「宮廷料理」は、その名の通り、宮廷行事や儀式、接待などのために振る舞われたので、手の込んだ料理が多く、さらに、トゥンダーブン(東道盆)と呼ばれる琉球漆器に盛られるなど見た目も華やかです。

 

一方、決して裕福とはいえない生活の中から生まれた「庶民料理」は、自然から得た分をまんべんなく無駄なく食材として使う、まさに生活の智恵を生かしたもので、栄養的にもバランスよく整えられている。食べ物のことを「クスイムン(薬)」「ヌチグスイ(命の薬)」といい、医食同源の考え方が食生活に根付いています。

 

また、黒麹菌とタイ米で製造される500年以上の歴史を持つ泡盛は、江戸幕府への献上品として、さらに首里城での冊封使の饗応にも振る舞われており、沖縄の食文化に欠かせないアイテムのひとつ。現在でも、 冠婚葬祭や伝統祭祀、行事等の際にも使われるほか、長く寝かせ熟成させて飲まれることも多いです。

宮廷料理

1492年から450年間、琉球王国とよばれる独立国だった沖縄。王国では、宮廷行事や儀式、接待などのために華やかな宮廷料理が誕生しました。その発展には、15世紀以降の中国皇帝の命により琉球王国を訪れた冊封使たち、そして17世紀以降の薩摩(現在の鹿児島県)との交流が影響しており、食材や調理技術が伝わったとされます。

庶民料理

亜熱帯の気候風土が育んだ栄養豊かな食材と、地理的・歴史的背景から日中両国との交易の中で伝えられた食材を巧みに組み合わせて誕生した料理。豆腐と季節の野菜を炒め合わせたチャンプルーや、根菜類や水分の少ない食材を出汁で炒め煮するイリチーなど、ある食材で栄養をまんべんなく摂るための創意工夫がされています。

泡盛

米でつくられる蒸留酒の一種で黒麹菌を用いた沖縄独特の酒。酒として料理とともに楽しまれるほか、ラフテーなど独特の風味を出す調味料としても使われます。なお、長く寝かせることで酒の質が向上し、より味わい深い酒になるといわれており、つくられてから3年以上寝かせたものを古酒(くーす)と呼びます。また、泡盛を入れる焼物「嘉瓶」や「カラカラ 」「抱瓶」といった酒器も、泡盛を楽しむアイテムとして知られています。

 

 

参考サイト

【沖縄県沖縄の伝統的な食文化の保存・普及・継承について

【那覇市日本遺産「琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な『琉球料理』と『泡盛』、そして『芸能』」について

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